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伝松平信綱坐像(高村光雲 作)

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伝松平信綱坐像(高村光雲 作)

松平信綱
江戸時代前期の大名で、江戸幕府の老中。武蔵国忍藩主、武蔵国川越藩初代藩主でもある。家紋は三本扇。幼名は三十郎。非常に頭脳明晰な人物で、官位の伊豆守から「知恵伊豆」とあだ名された。徳川家康の家臣で代官だった大河内久綱の長男として誕生するが、のちに叔父・松平正綱の養子となる。1604年に2代将軍・秀忠の嫡男・家光が誕生すると、信綱は家光付きの小姓に任ぜられ、家光が3代将軍に就任すると信綱は老中にまで出世し幕政を輔佐した。1637年に起きた一揆「島原の乱」では幕府軍の総大将として一揆軍を鎮圧、その功により川越藩6万石の藩主となり、城下町川越や川越街道の整備、農業の振興などを行い川越藩の礎を築いた。家光没後も4代将軍・家綱の輔佐にあたり幕閣の中心人物として幕政を支え、幕府転覆計画「慶安の変(由井正雪の乱)」や老中暗殺計画「承応事件」を鎮圧したり、1657年に起きた「明暦の大火」などにも迅速な対応を見せるなどその手腕を大いに振るった。1662年、病に倒れ、老中在職のまま他界した。墓所は埼玉県新座市にある平林寺。

Originally uploaded by: 平林寺

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