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夕霧太夫(初代)の浮世絵 (作・豊原国周)

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夕霧太夫(初代)の浮世絵 (作・豊原国周)

夕霧太夫(初代)
江戸時代前期の京の遊女。高尾太夫、吉野太夫とともに「寛永の三名伎」といわれる。本名は照。一説によると現在の京都市左京区嵯峨の近くで生まれたという。最初、京の島原にある「扇屋」の太夫となり、のち「扇屋」の移転にともない大坂の新町の太夫となった。容姿秀麗、才気煥発、諸芸に優れた名伎として名をはせた。しかし、病を得て若くして世を去った。享年は22とも27とも伝わる。墓所は大阪市天王寺区にある浄国寺や京都市右京区嵯峨にある清涼寺のほか徳島や和歌山にも。また、夕霧太夫の命日は「夕霧忌」として俳句の春の季語にもなっている。その死後、夕霧を主人公として浄瑠璃や歌舞伎などの作品が多く作られ、代表的なものに浄瑠璃『夕霧阿波鳴渡』(近松門左衛門)や歌舞伎『夕霧名残の正月』などがある。なお、「夕霧太夫」を名乗る太夫は昭和にも存在し、女優としても活動した(本名は中村芳子)。

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