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伊能忠敬の肖像画

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伊能忠敬の肖像画

伊能忠敬
江戸時代中期に活躍した測量家、商人。日本初の実測による正確な地図『大日本沿海輿地全図』(「伊能図」)を完成させたことで知られる。幼名は三治郎、通称は三郎右衛門、勘解由(かげゆ)。字は子斉、号は東河。17歳の時、下総国香取郡佐原村にある酒造家・伊能家の婿養子となり、家業の経営立て直しに尽力、米穀取引などで家産を築き、名主としても村のために活躍した。しかし、49歳の時、家業を長男に譲って隠居、50歳にして幼少から興味を持っていた天文学を本格的に学ぶため江戸へ出、当代きっての天文学者・高橋至時に弟子入りした。師の至時は忠敬より19歳も年下であったが、年上の弟子となった忠敬の勤勉さに感激し「推歩先生」とあだ名したという。1800年、至時の推挙で幕府から奥州道中と蝦夷地東南沿岸測量を許され、その後、1816年まで17年をかけ10度にわたり日本全国の測量を行った。地図作成作業も完成に近づいた1818年、地図の完成を見ることなく他界。それから3年後の1821年、弟子たちの手によって『大日本沿海輿地全図』と名付けられた地図がようやく完成した。

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