羽柴秀勝の肖像画
羽柴秀勝
織田信長の息子(4男)で、のちに羽柴秀吉の養子となった。幼名は於次(於次丸)。別名は丹波少将、丹波中納言とも。おもな官位は権中納言、左近衛権少将、従三位。詳細は不明だが、1586年頃の誕生と思われる。秀勝は最初、秀吉領のうち長浜領を任され長浜城の留守を勤めた。1582年、秀吉に従って初陣を果たし、同年の高松城攻めにも参加した。さらにこの年、実父・信長が本能寺にて横死すると、弔い合戦の旗頭となって山崎の戦いに出陣した。また、信長の葬儀では喪主を務めている。その後、丹波亀山城主となったが、生来病弱だった秀勝は病を発し、1586年1月29日、亀山城にて病死した。まだ十代であった。
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