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金子勇

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金子勇

金子勇
ファイル共有ソフト「ウィニー」の開発者。小学生の頃からプログラムに興味を持つ。茨城大学工学部を卒業後、日本原子力研究所(現・日本原子力研究開発機構)に研究員として勤務しソフトフェア開発に従事した。32歳のとき、東京大学大学院の特任助手となり、同年、P2P技術を利用したファイル共有ソフト「ウィニー」を開発、2ちゃんねるに公開した。P2Pとは「Peer to Peer」つまり「仲間から仲間へ」という意味であり、コンピューター同士が直接、匿名で情報をやりとりできる革命的な技術だった。ところが翌年、ウィニーを利用し著作権物を違法にネット上にアップしたとして逮捕者が出た。これを受け、開発者である金子も著作権法違反ほう助の容疑により逮捕されるという事態になる。この逮捕は「使用した者の罪を開発者にまで問うのはおかしい!」と世間で大きな論争を呼んだ。7年にも及ぶ裁判の末、2009年(平成21年)、大阪高裁は逆転無罪の判決を下した。その後、金子は株式会社ドリームボート(現・Skeed)の技術顧問となり、新たなソフトウェアの開発に取り組んだ。 しかし、2013年(平成25年)7月6日、42歳という若さで死去。死因は急性心筋梗塞。不世出の天才のあまりに早すぎる死を惜しむ声があふれた。 2020年(令和2年)には「Winny事件」を題材にした映画が公開予定。

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