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勝谷誠彦

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勝谷誠彦

勝谷誠彦
テレビ番組の辛口コメンテーターとして活躍したコラムニスト。灘中学、灘高校、早稲田大学へと進学、在学中に「三尋狂人(みひろくると)のペンネームでフリーライターをしていた。卒業後、電通に入社するも数ヶ月で退社し、文藝春秋に入社。雑誌『週刊文春』『文藝春秋』などの担当を歴任したほか、国内外の事件などの取材に奔走した。『週刊文春』の記者をしていた1989年(平成元年)、世間を騒然とさせた「女子高生コンクリート詰め殺人事件」が起き、その際、勝谷は「獣に人権はない」と主張し、『週刊文春』において加害者少年らを実名で報道し賛否両論を巻き起こした。退職後はフリーのコラムニストとして活動したほか、朝の情報番組『スッキリ!』やバラエティ討論番組『たかじんのそこまで言って委員会』をはじめ多くのテレビ番組で毒舌コメンテーターとして活躍した。2000年(平成12年)5月6日にスタートしたブログ『勝谷誠彦の××な日々。』は2007年(平成19年)1月末まで休むことなく更新された。2015年(平成27年)にはうつ病を発症、以前から好んでいた酒の量が増えていき、のちに重症アルコール性肝炎で入院するまでとなった。2017年(平成29年)には兵庫県知事選に立候補したが、落選した。2018年(平成30年)11月28日、死去。死因はアルコール性肝炎。 私生活においては、最初の妻である早稲田大学の同級生だった女性との間にひとり娘がいたが離婚、その後、元モデルの甲賀瑞穂との事実婚を発表している。ちなみに漫画家・西原理恵子とは友だち。

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