横井也有の肖像画(『國文学名家肖像集』より)
横井也有
江戸時代中期の武士、国学者、俳人。幼名は辰之丞、通称は孫右衛門、本名は時般(ときつら)、号はほかに永言斎、知雨亭など。代々尾張藩士である横井家の子として名古屋に生まれ、家督を継ぐと尾張藩の要職を歴任した。文武に優れ、若い頃から俳人としても知られたという。53歳で病を理由に隠居すると、名古屋郊外の前津(現・名古屋市中区前津)の草庵「知雨亭」にて俳句や漢詩、和歌、狂歌、茶道など風雅の世界に没頭した。也有は生前、著作をほとんど残さなかったが、也有の名を世に広めた俳文集に『鶉衣(うずらごろも)』がある。これは江戸時代後期を代表する文人・大田南畝が、たまたま也有の文章を目にした南畝があまりにおもしろいので写し帰り、その後も尾張出身の人に会うごとに也有のことをたずね、也有の作品が世に埋もれるのは惜しいとして自ら刊行したものである。「化物の正体見たり枯をばな」は後年「幽霊の正体見たり枯尾花」として一般に広く知られる句だが、これは『鶉衣』に記された也有の句のひとつで、当時関西でもてはやされていた俳句の宗匠と対面した時の印象を句にしたもの。
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