大岡忠光の木像(龍門寺 所蔵)
大岡忠光
江戸時代中期の大名、9代将軍・徳川家重の側近として知られる。上総国勝浦藩主、武蔵国岩槻藩初代藩主。通称は兵庫、主膳。官位は従五位下、従四位下出雲守。同時代に活躍した同姓の江戸南町奉行・大岡忠相(越前)とは遠縁の関係で、個人的にも親交があったという。忠光は、旗本・大岡忠利の子として生まれ、15歳の頃にのちの9代将軍・家重の小姓となり、以降、家重の側近として仕えた。家重は生来虚弱のうえ、脳性マヒと推測される障がいにより言語が不明瞭であったといわれる。そのため、幼い頃から近侍していた忠光は家重の言葉が唯一理解できる人物として家重からあつく信頼され、出世の階段をかけのぼっていった。しかし、忠光は権勢におごることなく幕政に口を挟むこともなかったという。
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