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勝海舟の生誕の地 記念碑。父・勝小吉の生家である。書は西郷隆盛

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勝海舟の生誕の地 記念碑。父・勝小吉の生家である。書は西郷隆盛

勝小吉
江戸時代後期の旗本。子に幕末の政治家・勝海舟、甥に「幕末の剣聖」といわれた男谷信友(精一郎)がいる。幼名は亀松、のち小吉、通称は左衛門太郎惟寅(これとら)、隠居後は夢酔(むすい)と号した。旗本・男谷家の三男として江戸に生まれ、7歳で貧乏旗本の勝家の養子となった。幼い頃から学問嫌いの喧嘩好きでたびたび問題を起こし、14歳の時に家出し伊勢へ向かった。放浪の途中、睾丸に怪我をしたという。ちなみに、子の海舟も子どもの頃に野犬に睾丸を片方食いちぎられている。家出から4ヵ月後、江戸へ戻り、就職活動を試みるも失敗、剣の修行と吉原通いに明け暮れ、相変わらず喧嘩の日々を送った。幕末の大親分・新門辰五郎が「喧嘩で右に出る者なし」と語るほど、その腕っぷしは強かった。そして再び家出。遠州(現・静岡県)にいるところに甥の男谷信友がやってきて江戸へ連れ戻された。あまりの不良ぶりに激怒した父により小吉は座敷牢に3年間入れられ、その間に麟太郎(のちの海舟)が産まれた。出牢後、再度就職活動を試みるがまたしても失敗。その後も喧嘩と道場破りを繰り返しながら、刀剣のブローカーのようなことをして過ごした。37歳で隠居、夢酔と号す。晩年、自らの半生を振り返り、子孫に自分のようにはなるなと伝えるため自伝『夢酔独言(むすいどくげん)』を著す。著作はほかに『平子龍先生遺事』。墓所は東京都港区南青山にある青山霊園。

Originally uploaded by: 酔いどれJohnny 『意外と身近にある歴史散歩』

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