相馬大作の胸像(青森県二戸市)
相馬大作
江戸時代後期の武士。本名は下斗米将真(しもとまいまさざね)、通称は秀之進。弘前藩主暗殺未遂事件「檜山騒動」の首謀者として知られる。一般に知られる「相馬大作」は変名である。盛岡藩領の福岡(現・岩手県二戸)にて生まれ、18歳の時に江戸へ出て剣術、兵学などを学んだ。帰郷後は福岡で私塾「兵聖閣」を開き門弟の指導にあたった。大作の主筋である盛岡藩主・南部氏と支流にあたる弘前藩主・津軽氏は長年対立していたが、弘前藩主・津軽寧親がワイロをもって昇進し南部氏をしのぐ勢いにあった。これを不満に思った代作は津軽寧親に隠居勧告状を送るが聞き入れられず、暗殺を決意する。1821年(文政4)、大作は門弟4人を従え秋田藩領の白沢村山中に潜み、帰国途中の津軽寧親を襲撃しようとした。しかし、密告により計画は未遂に終わり、大作は江戸へ逃れたが捕縛され、小塚原の処刑場にて打ち首獄門に処された。「檜山騒動」は明治時代になると講談や芝居の題材となり、歌舞伎『講談檜山実記』は大評判をとった。東京都台東区にある谷中霊園には大作の招魂碑がある。
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