宝井其角の肖像画(『國文学名家肖像集』より)
宝井其角
江戸時代前期の俳諧師。本名は竹下侃憲(ただのり)、別号に螺舎(らしゃ)、狂雲堂、晋子など。近江国膳所藩御殿医・竹下東順の長男として江戸にて生まれ、10代の時に父の紹介により松尾芭蕉の門弟となり、「蕉門十哲」のうち一番の高弟と呼ばれるまでになった。芭蕉没後は日本橋にて「江戸座」を開き、江戸俳諧を牽引した。その作風は師の芭蕉が枯淡な風情を特徴としていたのとは異なり、軽妙かつ滑稽、派手でわかりやすく、口語調の「洒落風」「江戸風」の俳諧を確立した。「十五より酒を飲み出て今日の月」という句があるように非常に酒好きだったという。其角の代表句に「鐘ひとつ売れぬ日はなし江戸の春」「越後屋にきぬさく音や衣更(ころもがえ)」「夕涼みよくぞ男に生まれける」などがある。また、其角の逸話として有名なものとして、討ち入り前夜、赤穂浪士・大高源吾と出会い、はなむけとして「年の瀬や水の流れと人の身は」と其角が詠み、源吾が「あした待たるるその宝船」と返し討ち入りに向かった、というものがある(忠臣蔵の外伝にあたる歌舞伎の演目『松浦の太鼓』より)。ほかに人気画家・英一蝶との友情も有名。若い頃からの深酒がたたったのか、47歳で他界。辞世の句は「鶯の暁寒しきりぎりす」。墓所は東京都世田谷区にある称住寺など。
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