天野宗歩の墓(本妙寺、東京都豊島区)
天野宗歩
江戸時代末期の天才棋士。「棋聖」「実力十三段」といわれ、“史上最強の棋士”に宗歩をあげる人も多く、羽生義治も最強の棋士として宗歩の名をあげた。幼名は留次郎。江戸の本郷菊坂(現・東京都文京区)にて下級武士の子として生まれ、のち天野家の養子となった。幼い頃から天才児と噂され、5歳の時、将棋家元三家のひとつ大橋家の大橋宗桂に入門、11歳で初段となった。その後も類稀なる才能と実力を発揮したが、幕府公認の将棋三家の出身ではなかったため8段以上には上がれなかった。しかし、その実力は誰もが認めるもので、1852年(嘉永5)には御城将棋(幕府の年中行事として行われた将棋の対局)に出仕が許され、名勝負を繰り広げたことからその名声はますます広まった。将棋の定跡解説書『将棋精選』『将棋方鑑』といった著作も人気を博し、宗歩は人気・実力ともに抜きん出た存在となった。宗歩の将棋は圧倒的なスピード感にあり、師・大橋宗桂はその鮮やかな棋風を「紅の赤きがごとし」と形容した。しかし、晩年の素行は悪く、酒色におぼれ、禁制の賭け将棋にも手を染めたという。44歳で他界。墓所は東京都豊島区巣鴨にある本妙寺で、墓は駒形をしている。
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