東福門院像(光雲寺 蔵)
東福門院
江戸時代前期の女性。後水尾天皇の中宮で、859年ぶりの女帝となった第109代天皇・明正(めいしょう)天皇の生母。父は2代将軍・徳川秀忠、母は江。徳川家康の内孫にあたり、豊臣秀頼はいとこ、その妻である千姫は姉。名は徳川和子(まさこ)。徳川幕府の創世記において、不安定な朝幕関係を堅固にするための婚姻政策により、時の天皇・後水尾天皇に輿入れした。祖父・徳川家康は和子の子を天皇にし、徳川家の血を天皇家に入れようともくろんでいたという。華やかな入内のようすは『東福門院入内屏風』に描かれており、二条城かあら御所まで盛大な行列に見物客が殺到した。「紫衣事件」などにより朝幕関係は緊張状態にあったが、政略結婚ではあったが東福門院の温順な性格もあって夫婦仲はよく、気の強い後水尾天皇によく仕え、朝幕関係の改善に生涯尽力した。また、幕府に要請し多額の資金援助を朝廷に行い、財政難にあえぐ朝廷を資金面でも支えた。夫である後水尾天皇は芸術センスに優れ、朝廷を中心に文化人サロンを築き「寛永文化」と呼ばれる文芸芸術の隆盛を招いたことで知られるが、東福門院もまた優れた芸術センスの持ち主で、日本最古といわれる押絵を作成したといわれる。特にファッションリーダーとしての東福門院は絶大な影響力を持ち、お抱え呉服商・雁金屋に多数の着物を仕立てさせ、東福門院の好んだデザインはのちに年号から「寛文小袖」と呼ばれ、宮中だけでなく武家や町人の間でも流行するまでになっていった。さらに、宮中に小袖(袖口がつまった着物)着用の習慣が導入されたのも東福門院の影響といわれる。墓所は京都市東山にある泉湧寺。東福門院を題材にした小説に、宮尾登美子『東福門院和子の涙』や近藤富枝『江戸の花女御-東福門院和子』などがある。
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