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佐倉惣五郎の肖像画(『帝国人名辞典』(1889年)より)

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佐倉惣五郎の肖像画(『帝国人名辞典』(1889年)より)

佐倉惣五郎
江戸時代前期の下総国印旛郡公津村(現・千葉県成田市台方)の名主。本名は木内惣五郎、俗称は宗吾。近世における「義民」の代表とされる人物として有名。佐倉藩主・堀田正信の苛烈な年貢取立てに耐えかね、佐倉領内の村民が藩や幕府老中に訴えたが聞き入れられず、ついに惣五郎は4代将軍・家綱に直訴する。これにより藩政は改良されたが、惣五郎夫妻は磔に処せられ、4人の子ども死罪になったという。こうした惣五郎の「義民伝」は有名だが、根拠とされるものは江戸後期に創作された『地蔵堂通夜物語』や『堀田騒動記』などであり真偽のほどは不明。だが、前述の物語などのほか『東山桜荘子』など芝居や歌舞伎、講談、浪曲といったさまざまな芸能で「佐倉義民伝」として取り上げられ、福澤諭吉も「古来唯一の忠臣義士」とその名を挙げるなど人々から愛された。

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