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夏目漱石 明治時代を代表する文豪。本名は夏目金之助、俳号は愚陀仏。遅咲きであり処女作である『吾輩は猫である』を発表したのは39歳である(1905年)。 大学は帝国大学(現・東京大学)に入学、正岡子規など後に文壇で活躍する友人を数多く得る。 また、自らの作品を発表するだけではなく、漱石を慕う大学の後輩や小説家を志す者のために、文学サロンを主宰。木曜会と呼ばれた会は、夏目漱石が死去する2週間前まで開催されていた。木曜会に出席者の多くは、その後文学界で活躍したことで「漱石山脈」とよばれている。