戦艦三笠での連合艦隊司令陣(中央 東郷平八郎、東郷の右奥 秋山真之、東郷の左奥 加藤友三郎)
秋山真之
幼名は淳五郎(じゅんごろう)。海軍中将。作戦担当参謀として参加した日露戦争では、連合艦隊司令長官・東郷平八郎のもと「丁字戦法」を立案。当時最強といわれていたロシア・バルチック艦隊を日本海海戦で撃破する歴史的勝利を導いた。
日露戦争での活躍により、日本海海軍では伝説的名参謀として東郷平八郎とともに神格化された。
実兄は「日本騎兵の父」といわれた陸軍大将の秋山好古。
東郷平八郎
元帥海軍大将。明治時代の大きな戦い日清・日露戦争での勝利に多大なる貢献を果たした。
特に日露戦争では連合艦隊司令長官として、勝ち目がないと思われた日本海海戦において、ロシア・バルチック艦隊を破るなど、奇跡的な活躍を果たし、海外にまでその活躍は伝わったほどである。
対バルチック艦隊戦でみせた「トウゴウ・ターン」とよばれる戦法は、あまりにも有名。
加藤友三郎
元帥海軍大将。日露戦争では連合艦隊参謀長兼第一艦隊参謀長を務める。作戦担当参謀である秋山真之とは違い寡黙な性格であるが職責には厳格であり、総司令官・東郷平八郎の評価は高かった。
日露戦争後は5つの内閣で海軍大臣を務めた(第2次大隈内閣・寺内内閣・原内閣・高橋内閣・加藤友三郎内閣)。
1922年、内閣総理大臣に就任。翌年、在職中のまま死去。
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