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青木昆陽の肖像画

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青木昆陽の肖像画

青木昆陽
江戸時代中期の蘭学者、儒学者。「昆陽」は号で名は敦書、字は厚甫、通称は文蔵。さつまいもの栽培を普及させたことで知られ、「甘藷先生」と呼ばれた。江戸日本橋にある魚屋の息子として生まれ、京の儒学者・伊藤東涯に入門し儒学を学んだ。その後、8代将軍・吉宗に命じられ、救荒作物として甘藷(さつまいも)の栽培を小石川薬園や下総国千葉郡(現在の幕張)などで行う。これにより、さつまいもの栽培が関東地方で普及し、天明の大飢饉(1782)では多くの人命を救った。1769年、インフルエンザにより他界。墓所は東京都目黒にある瀧泉寺(目黒不動)。さつまいも栽培が行われた千葉の幕張には昆陽神社があり、昆陽は「芋神さま」として祀られている。著書に『蕃薯考』『和蘭文訳』など。

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