伊奈半左衛門忠順の銅像(静岡県駿東郡小山町須走の伊奈神社)
伊奈忠順
江戸時代中期の関東郡代。通称は半左衛門。父は関東郡代の伊奈忠常。はじめ旗本・稲葉正篤の養子となったが、兄・忠篤の急死を受け伊奈家を継いだ。伊奈家代々が務める幕府代官として、深川永代橋の架橋工事や本所堤防の修築など江戸の拡張工事に推進した。1707年(宝永4)、富士山が大噴火し(宝永の大噴火)、甚大な被害が出た。忠順は「砂除川浚(すなよけかわざらい)奉行」と呼ばれる災害対策の最高責任者に任ぜられ、被災地の復旧活動に尽力した。一説によると、幕府による支援の手が届かない窮民を見かね、独断で幕府の米蔵を開き被災者に分配したが、この無断行為をとがめられ切腹が命じられたという。墓所は埼玉県川口市にある源長寺。静岡県駿東郡小山町には忠順の遺徳をしのんだ農民たちにより建立された伊奈神社がある。
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