鼠小僧の墓(東京都墨田区両国の回向院)
鼠小僧
江戸時代後期の大盗賊。本名は次郎吉。一般に「鼠小僧次郎吉」として知られる。歌舞伎小屋の中村座の便利屋を営む貞次郎の息子として元吉原にて生まれる。長じて鳶人足となったが、やがて賭博の金欲しさに盗人の道に入ったという。武家屋敷を専門に盗みを働いていたが、1825年、忍び込んだ先で捕縛、尋問を受けるも初めての盗みとシラ切り、入墨を入れられ追放刑に処せられた。上方へ姿を消していたが、その後ひそかに江戸へ戻り再び盗みを始めるように。それから7年にもわたり武家屋敷で盗みを働き続けたが、1832年、ついに捕縛され、3カ月後、市中引き回しのうえ小塚原刑場にて獄門となった。鼠小僧の供述によれば、盗人稼業で忍び込んだ武家屋敷は95、盗んだ金は3000両を超えるという。墓所は東京の両国にある回向院。鼠小僧といえば、大名屋敷やあくどい商家から盗んだ金を貧しい者に分け与える“義賊”だったという伝承が有名だが、実際は盗んだ金は賭博と女や酒に浪費したとの見方が有力とされる。また、歌舞伎の演目『鼠小紋東君新形(ねずみこもんはるのしんがた)』(通称「鼠小僧」)は義賊・鼠小僧が活躍する内容で江戸庶民の人気を博した。
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