間宮林蔵の肖像画(大正〜昭和の画家・松岡映丘 画)
間宮林蔵
江戸時代後期に活躍した探険家、幕府の隠密。蝦夷地方を探検し、樺太(サハリン)が島であることを確認した。名は倫宗(ともむね)。常陸国筑波郡上平柳村の農家の子として生まれる。幕府による利根川東遷事業に参加した際、地理や算術の才能を幕臣に見込まれ、のちに幕府の下役人となった。その後、測量家・伊能忠敬に測量技術を学び、1803年、西蝦夷地を測量した。1808年、幕命により樺太を探索、2回の探索により樺太が半島ではなく島であることを確認した。さらに、清国の役所があるという「デレン」という町の存在とロシア帝国の動向を確認するためアムール川下流を調査、その記録を『東韃地方紀行』としてまとめた。1828年には幕府の勘定奉行の部下となり、隠密として全国各地の調査を行った。また、「シーボルト事件」を密告したとされている。実子がいなかったため長年、直系の子孫はいないとされていたが、近年、林蔵とアイヌ人女性との間に生まれた娘の子孫の存在が確認された。
ツイート |