大石主税(『誠忠義士伝』より、歌川国芳 画)
大石主税
江戸時代前期の武士。赤穂浪士のリーダー大石内蔵助良雄の子で、赤穂浪士四十七士のひとり。通称の主税で知られるが、名は良金(よしかね)、幼名は松之丞。播磨国赤穂藩の筆頭家老・大石良雄の嫡男として赤穂にて生まれる。13歳の時、主君・浅野匠頭長矩が江戸城にて刃傷事件を起こし、長矩は即刻切腹、御家は断絶となった。赤穂城明け渡し後、主税は母りくや弟の吉之進、妹のくう、るりと共に母の実家で過ごし、その後、父・良雄が京の山科へ移住すると、主税たちも山科へ移った。主税は元服すると御家再興運動に加わり、以降、父・良雄と行動を共にした。御家再興の望みが絶たれ吉良上野介義央への敵討ちが決定すると、主税は江戸へ下り「垣見左内」の変名を使い潜伏、討ち入り当日は裏門隊の大将を務め、本懐を果たす。事件後、主税は堀部安兵衛(武庸)ら9名と伊予松山藩の松平定直の屋敷にお預けとなり、切腹し16歳の若さで世を去った。若いながらも堂々とした最期に検視の役人が涙したという逸話が残る。墓所は主君・長矩や父・良雄ら赤穂浪士たちと同じ高輪泉岳寺。主税は当時としては長身の172cm前後だったといわれる。
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