徳川家重の肖像画(画・狩野英信)
徳川家重
江戸幕府の9代将軍。幼名は長福丸。あだなは「小便公方」。御三家紀州藩の5代藩主だった徳川吉宗(のち8代将軍)の長男として江戸赤坂の紀州藩邸にて生まれる。吉宗の将軍就任と同時に江戸城入りを果たしたが、生まれつき病弱だったうえ言語不明瞭といわれ、大奥に入り浸り酒色にふけりますます健康を害した。しかし、1754年に9代将軍に就任、吉宗存命中は吉宗が幕政の実権を握った。吉宗死後は側近の大岡忠光を重用し側用人制度を復活、財務に卓越した手腕を持つ田沼意次を取り立て幕政の安定に努めた。1760年に大岡忠光が死去すると将軍職を長男・家治に譲り、翌年、他界した。墓所は東京の港区にある増上寺。言語障害などから中傷を受けることも多かったが、じつは人物眼に優れ頭脳も明晰な人物だったという説も。
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