斎藤一の家族写真(左から次男 剛、斎藤一、長男 勉、妻 トキヲ)
斎藤一
新選組 三番組組長および撃剣師範。剣の腕では、一番組組長・沖田総司と双璧をなし、さまざまな逸話が残っている。副長・土方歳三の信頼が厚く、新選組内部での粛清役を多く務めたとされる。(御倉伊勢武、荒木田左馬之助、武田観柳斎、谷三十郎らの暗殺に関与)。
戊辰戦争では、鳥羽・伏見の戦いや甲陽鎮撫隊でも常に最前線で戦ったといわれている。
明治に入ってからは警視庁にて勤務。西南戦争では、別働第三旅団豊後口警視徴募隊二番小隊半隊長として戦闘参加。大砲2門を奪取するなど非常なる活躍を見せ、新聞にも報道されるほどであった。(東京日日新聞)
警視庁退職後は、明治32年まで東京高等師範学校附属東京教育博物館の看守(守衛長)として、学生に撃剣を教える。
晩年は東京女子高等師範学校に庶務掛兼会計掛として勤務。生徒の登下校時は人力車の交通整理をしたといった穏やかなエピソードも残っており、若かりし頃の剣豪のイメージはない。
1915年9月28日、胃潰瘍で死去。享年72歳。
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