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楫取素彦(杉寿の夫、杉文の夫)

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楫取素彦(杉寿の夫、杉文の夫)

杉文
別名、楫取美和子(かとりみわこ)。吉田松陰の妹。同じ長州藩の松下村塾四天王・久坂玄瑞に嫁ぐ。久坂玄瑞18歳、文が15歳のときのことであった。その後、夫の久坂玄瑞は激動の幕末を動かす中心人物のひとりとして存在感を増すも、薩摩・会津による宮中クーデターにより長州藩自体が失脚。久坂玄瑞は盛り返しを狙うも戦いのなかで命を落とす(禁門の変)。夫に先立たれた杉文は、姉・寿に先立たれた義兄・楫取素彦(かとりもとひこ)の妻となる。晩年は山口県防府市で過ごす。幕末(江戸)・明治・大正と3時代を生きて大正10年、79歳にて死去。久坂、楫取との間に子どもはいなかった。

楫取素彦
吉田松陰の妹・杉文の夫。小田村伊之助ともいう。同世代の吉田松陰の良き理解者として松蔭の活動のサポートにあたり、明治になってからは松蔭の兄・杉民治とともに、松陰の顕彰のために尽力した。明治時代は群馬県令、元老院議官を歴任。

杉寿
吉田松陰の妹であり、杉文(楫取寿子)の姉にあたる。楫取素彦と結婚し二児をもうける。長男・篤太郎は、小田村希家を名乗り小田村家を継ぎ、次男・久米次郎は、楫取道明を名乗り台湾の小学校(芝山巌学堂)で教師を勤める。楫取道明は芝山巌事件で殺害された六氏先生のひとりである。

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