中根幸(徳川慶喜の側室)
徳川慶喜
江戸幕府第15代征夷大将軍。江戸幕府、最後の将軍でもある。将軍就任前は、御三卿・一橋徳川家の第9代当主。
類いまれなる切れ者としてみせた一連の政治的働きは、桂小五郎に「実に家康の再生を見るが如し」と言わしめた。
おもな働きは、禁門の変で長州藩を撃退した陣頭指揮、軍政改革による軍事力の近代化、内閣制を模した官僚機構の整備、積極的な人材登用、難題といわれた兵庫開港の勅許など。
一方で、実行力に乏しく翻意することがたびたびあり、ようやく実現した公武合体の連立政権(参与会議)解体の原因ともなった。
明治維新後は、悠々自適の趣味人としても知られ、写真撮影、自転車や釣りと幅広い。
一条美賀子
徳川慶喜の正室。
疱瘡で婚約破棄となった一条忠香の娘・千代君(照姫)の代役として、急遽嫁いだ。
そのせいか慶喜との夫婦仲はけして円満ではなく、たびたび衝突していたと伝えられる。
激動の幕末に最後の将軍となった慶喜は就任後も江戸城に入らなかった為、一条美賀子も正室でありながら大奥に入らず、政争に巻き込まれることはなかった。
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