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小林虎三郎 「米百俵」の逸話でよく知られている。 23歳のとき、佐久間象山に弟子入り。虎三郎の才覚は師・象山をも唸らせ、吉田松陰とともに「象門の二虎」と称せられる。 戊辰戦争では、官軍との開戦反対の立場を一貫してとり、法学理論から徳川慶喜の赦免を訴える嘆願を出そうと試みる。しかし、同藩の河井継之助が江戸から帰郷したことにより、虎三郎の嘆願は結局出されることはなかった。 明治元年、長岡藩大参事となる。