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吉野太夫(2代目) (常照寺所蔵)

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吉野太夫(2代目) (常照寺所蔵)

吉野太夫(2代目)
江戸時代前期にいた京を代表する遊女。本名は松田徳子。夕霧太夫、高尾太夫とともに「寛永の三名伎」といわれた。「吉野太夫」は京を代表する太夫に代々伝わる名跡で、10代まであったといい、初代は吉川英治の小説『宮本武蔵』の登場人物として知られる。歴代吉野太夫のなかでも二代目は器量はもとより諸芸に優れた才色兼備の女性で、井原西鶴も「前代未聞の遊女」と絶賛したという。二代目吉野太夫は、京にある方広寺の近くで生まれ、父は西国の武士だったとも。幼少の頃に禿(かむろ)となり、14歳で太夫となった。和歌、連歌、俳諧、琴、琵琶、書道、茶道、華道、囲碁など諸芸に優れ、その名は京のみならず遠く明国まで届いたといわれる。26歳の時、京の豪商に身請けされ結婚。しかし、その12年後、38歳の若さで世を去った。墓所は京都市北区にある常照寺。毎年4月には吉野太夫をしのび、花供養が行われている。

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