高尾太夫(2代目)の浮世絵(作/豊原国周)
高尾太夫(2代目)
江戸時代前期の吉原を代表する遊女。「万治高尾」「仙台高尾」「道哲高尾」とも。吉野太夫、夕霧太夫とともに「寛永の三名伎」といわれる。「高尾太夫」は吉原で最も有名な遊女に襲名された名で、「三浦屋」に伝わる大名跡。高尾太夫を名乗った人数には諸説あり、7人とも11人いたとも。特に二代目は歴代のうち最も有名で、仙台藩主・伊達綱宗の意に従わなかったため、船中で惨殺されるという悲惨な最期を遂げた、など多くの逸話が残るが真偽は不明。伊達家のお家騒動「伊達騒動」に結び付けられ、『伽羅先代萩(めいぼくせんだいはぎ)』など浄瑠璃や歌舞伎の作品として高尾太夫は登場する。二代目高尾太夫の墓所は東京都豊島区巣鴨にある西方寺。なお、古典落語の傑作のひとつ『紺屋高尾』は、五代目高尾太夫をモデルにしたものである。
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