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細川ガラシャの銅像

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細川ガラシャの銅像

細川ガラシャ
本名は玉子(たまこ)または、たま。明智光秀の娘。戦国時代における美女としても有名。 父・光秀の主君である織田信長のすすめで、細川藤孝の嫡男・細川忠興に嫁いだ。本能寺の変後は「逆臣の娘」となってしまうが、夫・忠興との絆は深かったため、離縁することなく隔離・幽閉により約2年間過ごす。1587年ごろに、夫・忠興に内緒でカトリックに入信。このとき受けた洗礼名がガラシャである。 関ヶ原の戦いの直前、西軍・石田三成に人質に取られそうになったため、家老・小笠原秀清に槍で胸を突かせ、最後を遂げた。これはキリスト教で自殺が大罪とされていたためである。

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