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長束正家邸址

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長束正家邸址

長束正家
豊臣政権のいわゆる「五奉行」のひとり(ほかは、浅野長政、石田三成、増田長盛、前田玄以)。 通称は新三(新三郎とも)。官位は従四位下侍従。 初め丹羽長秀に仕えていたが、その後、豊臣秀吉に召抱えられ持ち前の行政・財務の才を買われ信任を得ると、1586年の九州征伐や1590年の小田原征伐などで兵糧奉行を務めたほか、豊臣氏の蔵入り地管理や太閤検地の奉行も務めるなど豊臣政権の財政を一手に担った。こうした働きが評価され、1595年に近江国水口城5万石を与えられ「五奉行」の一員に列せられるまでになった。 1600年の関ヶ原の戦いでは西軍に与し、吉川広家や毛利秀元とともに南宮山に布陣したが、広家が東軍に寝返ったため動きを封じられ、本戦に参加できないまま西軍が敗北、正家は撤退し水口城に逃れた。だが、東軍の池田長吉らに攻められ捕縛されると、正家は弟・直吉とともに切腹し果てた。その首は京の三条河原にさらされた。

Originally uploaded by: みかわのひで

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