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宮本武蔵の肖像画

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宮本武蔵の肖像画

宮本武蔵
実名は新免武蔵藤原玄信(読み方 しんめんむさしふじわらはるのぶ)。幼名は辨助(読み方 べんのすけ)。号は二天、または二天道楽。 13歳で生き死にかけた決闘をはじめて行なう。このとき新当流の有馬喜兵衛に勝利して以来、60余戦してその全てで勝利を収めたとの記録が残されている。 巌流島での佐々木小次郎(岩流)との決闘以後、大阪の陣に参戦したといわれるがこの頃の記録は途切れている。 その後、養子(宮本伊織貞次)を招き、島原の乱ではこの伊織とともに出陣。 晩年は細川藩のに客分として招かれ熊本に移り、42歳でかの有名な『五輪書』を、51歳で『兵法三十五箇条』を執筆。 また、たいへんな芸術家としても知られ、水墨画『枯木鳴鵙図(読み方 こぼくめいげきず)』は国の重要文化財に指定されていて、現代でも掛け軸として人気である。ほか、武蔵が亡くなる七日前に書かれたといわれる21箇条の人生訓『独行道(読み方 どっこうどう)』も有名。

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