蘆名盛氏の肖像画
蘆名盛氏
蘆名氏十六代当主。正室は伊達政宗の曽祖父・稙宗の娘。
幼名は四郎丸。仮名は平四郎。号は止々斎。おもな官位は修理大夫、従四位下。
蘆名盛氏は1541年に父・盛舜から家督を譲られると、翌年には山内氏をやぶり勢力を拡大、やがて会津地方を制圧するまでになった。その後も精力的に領地拡大を行い蘆名氏全盛期をつくりあげた。1561年に家督を嫡男・盛興に譲り隠居する。だが、引き続き実権を握り続け、1575年に嫡男・盛興が急死してからは黒川城へ再び戻り政務にあたった。
晩年になっても盛氏の領地拡大の意欲は衰えることなく、たとえば1578年に上杉謙信が没して越後国内が混乱しているのを見るや越後に出兵している。
なお、蘆名盛氏はその生涯において2度国内で禁酒令を出している。1度目の理由は不明だが、2度目は29歳という若さで急死した嫡男・盛興の死因が酒にあったためといわれる。
ツイート |