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増田長盛の像

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増田長盛の像

増田長盛
豊臣政権の五奉行のひとり(ほかは、浅野長政、石田三成、長束正家、前田玄以)。 通称は仁右衛門。おもな官位は従五位下右衛門少尉。前歴は不明だが、羽柴秀吉(豊臣秀吉)が織田信長の家臣だったころから秀吉に仕え、1577年からの中国攻めなど数々の戦いに従軍した。 増田長盛は軍事よりも内政面に才能を発揮し、特に太閤検地では石田三成とともに中心的役割を担い、検地推進に大きく貢献した。そうした功績が認められ、1595年には大和郡山に20万石を与えられ、さらに1598年には五奉行のひとりに任じられた。 秀吉没後は、石田三成とともに徳川家康に対抗し、西軍の中心人物のひとりとなった。しかし、その一方で敵である徳川家康に内通するなど保身を図り、関が原の本戦には参加しなかった。戦後、出家し家康に謝罪したが許されず改易となり、武蔵国岩槻城主・高力清長預かりとなった。1615年の大坂夏の陣の際、息子・増田盛次が大坂城に入り豊臣方に与し、戦後、この件が咎められ増田長盛は自害を命じられ、切腹した。

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