松平忠直の肖像画
松平忠直
徳川家康の次男で越前北ノ庄藩(福井藩)初代藩主である結城秀康の息子(長男)。
正室は徳川秀忠の三女・勝姫。幼名は仙千代。おもな官位は越前守、左近衛権中納言、従三位参議。1615年、大坂夏の陣の際、祖父・家康に先鋒を願い出たが、前年の冬の陣で失敗があったためかえって叱責を受けた。
だが、忠直は軍令を無視して敵陣に突っ込み、真田幸村(信繁)を討ち取るという大手柄を立てた。しかし、戦後の論功行賞で忠直に対する恩賞は薄く、これを不満に思った忠直は次第に幕府に対し不満を抱くようになり、1621年には江戸への参勤を怠るなど素行の悪さが目立つようになった。ほかにも、家臣を殺害するなど乱行はなはだしく、ついに1623年、二代将軍・秀忠から隠居を命ぜられ、豊後国府内藩へ配流となってしまった。そして、1650年10月5日、この世を去った。
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