蜂須賀小六の肖像画
蜂須賀小六
豊臣秀吉の最古参の家臣のひとり。
本名は正勝。一般的に知られる「小六」は幼名。通称は彦右衛門。官位は従四位下修理大夫。講談や『太閤記』などにより野盗の親玉というイメージが強い人物。
蜂須賀家は尾張国蜂須賀郷を拠点とする土豪で、小六も独立勢力として美濃国の斉藤道三や尾張国の織田信長らに一時的に仕えることもあった。蜂須賀小六といえば、まだ木下藤吉郎と名乗っていた少年時代の豊臣秀吉と矢作橋で出会った逸話が有名だが、これは後世の創作であろうといわれている。
とはいえ、ごく初期から秀吉に仕えていたのは事実で、1566年に行われ秀吉の名を高めた墨俣城の築城にも協力している。その後も、石山合戦などに秀吉家臣として従軍し武功を挙げ、1573年に秀吉が近江国長浜城の城主となると領内に所領を与えられ秀吉直参となった。以降、1577年からの中国攻め、1584年の小牧・長久手の戦い、1585年の四国攻めなどに参加し活躍、特に交渉や戦後処理など政務面でその手腕を発揮した。それまでの働きが評され秀吉から阿波一国を与えられたが、小六は嫡男・家政にこれを譲り、1586年7月8日、大坂城外の屋敷で病により死去した。
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