加藤嘉明の肖像画
加藤嘉明
賤ヶ岳の七本槍のひとり(ほかは、福島正則、加藤清正、脇坂安治、平野長泰、糟屋武則、片桐且元)。
陸奥国会津藩の初代藩主でもある。初名は茂勝。通称は孫六、左馬助。おもな官位は、左馬助、従五位下、従四位下、侍従。少年期に羽柴秀吉(豊臣秀吉)に見出され小姓として仕えるようになり、1583年の賤ヶ岳の戦いで活躍、一躍その名を知られるようになった。
その後も秀吉家臣の猛将として、1585年の四国攻め、1587年の九州征伐、1590年の小田原征伐など数多の戦いに参戦した。1592年からの文禄・慶長の役には水軍の将として参加、朝鮮水軍を壊滅させるなどすさまじい戦いぶりを見せた。秀吉没後は徳川家康に接近、1600年の関ヶ原の戦いでは東軍に属し、戦後、伊予国松山20万石に加増転封された。その後も徳川家に仕え、1627年には会津藩40万石を領するまでになった。その4年後の1631年、江戸で病のため没した。
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