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千姫の肖像画

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千姫の肖像画

千姫
二代将軍・徳川秀忠の娘(長女)で、母は「浅井三姉妹」の三女・江。豊臣秀吉の遺児・秀頼の正室でもある。 号は天樹院。温和な性格で、祖母・市ゆずりの美貌と聡明さを持ち合わせた女性だったといわれる。1597年5月26日、京の伏見城内にある徳川屋敷にて誕生し、1603年、わずか6歳の時に従兄にあたる豊臣秀頼と結婚、乳母・刑部卿局とともに大坂城に入った。政略結婚ではあったが秀頼との夫婦仲はたいへんよかったといわれる。 だが、1615年、大坂夏の陣で大坂城は落城。千姫は祖父・家康により大坂城から救出され、夫・秀頼は自害した。翌1616年、千姫は祖父・家康の重臣である本多忠勝の孫の忠刻と再婚したが、その際、輿入れの行列を津和野藩主・坂崎直盛が襲撃し千姫を強奪しようという事件が起きた(千姫事件)。なお、この事件により坂崎直盛は自害、坂崎家は改易になっている。 千姫は本多忠刻との間に長女・勝姫、長男・幸千代をもうけ仲むつまじい夫婦生活を送っていたが、1621年に幸千代が、ついで1626年には夫の忠刻、母・江、姑・熊姫が次々に世を去るという不幸に見舞われた。千姫は娘・勝姫とともに江戸へ戻ると、その後、出家し天樹院と号して娘と2人で竹橋の屋敷で暮らし、1666年3月11日、江戸で没した。

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