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鳥居元忠の肖像画

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鳥居元忠の肖像画

鳥居元忠
通称は彦右衛門尉。徳川家康の祖父・松平清康、父・松平広忠、家康と松平家3代に仕えた鳥居忠吉の息子(3男)。 下総国香取郡矢作藩の藩祖でもある。なお、『忠臣蔵』で有名な大石内蔵助(良雄)は元忠の子孫である。元忠は家康が今川家の人質だった時代からこれに仕え、以降、家康に絶対的な忠誠心をもって仕え続け、その姿は「三河武士の鑑」と賞賛された。 1558年の家康初陣に従って以来、1570年の姉川の戦い、1572年の三方ヶ原の戦い、1575年の長篠の戦い、1590年の小田原征伐など数多くの戦いに参加し武功を挙げ、家康が関東に入ると下総国矢作城4万石を与えられた。 1600年、関ヶ原の戦いが勃発する直前、元忠は家康より伏見城の留守居役を命ぜられる。しかし、人手不足により元忠の手勢はわずか1800人ほどであった。同年8月26日、徳川家康が上杉景勝を征伐するとして会津征伐に出陣すると大坂で石田光成ら西軍が挙兵、伏見城の明け渡しを元忠に求めた。だが、伏見城の死守を覚悟していた元忠はこれを断固拒否。そのため光成は伏見城攻撃を開始、関ヶ原の戦いの前哨戦が始まった。元忠はわずか1800人ほどの兵力で西軍約4万の大軍を相手に死闘を繰り広げたが、多勢に無勢、13日の攻防戦の末、9月8日、鳥居元忠は壮絶な最期を遂げ、伏見城は落城した。

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