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豊臣秀頼の肖像画

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豊臣秀頼の肖像画

豊臣秀頼
豊臣秀吉と淀殿の息子(秀吉の三男)であり、 幼名は拾丸。おもな官位は権大納言・正二位・内大臣・右大臣。 父・秀吉は後継者である秀頼のために、死去の前に五大老・五奉行などを導入し、政権維持の体制を整えた。しかし、次第に徳川家康が影響力を強め、政権は深刻な内部対立に陥ることとなり、関ヶ原の戦いが勃発。豊臣政権は崩壊を迎え、天下の実権は豊臣秀頼から徳川家康へと移る。 これにより、次期関白候補・秀頼と天下の実権者・家康の二重構造が生まれてしまう。家康は融和路線を模索するも、秀頼の母・淀殿がこれを拒否した。 最終的には大阪の陣を仕掛けられ、秀頼は淀殿らと自害。豊臣家は滅亡を迎え、二重構造は解消されることとなる。

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