片桐且元の肖像画
片桐且元
通称は助作。別名は直倫、直盛、且盛。おもな官位は東市正、従五位下。
早くから豊臣秀吉に仕え、1583年の賤ヶ岳の戦いで活躍、福島正則や加藤清正らとともに「賤ヶ岳の七本槍」のひとりに数えられた。
秀吉からの信任あつく、その子・秀頼の傅役を任された。
1600年、関ヶ原の戦いでは西軍として参加したが、戦後は豊臣・徳川両家の対立回避のために尽力した。しかし、両家の対立は避けがたく、1614年にいわゆる「方広寺鐘銘事件」が起こるとその関係はさらに悪化。この事態に且元は戦いを避けようと奔走したが、且元が家康からの信頼もあつかったこともあり大坂城内では且元に対し徳川方への内通を疑う声が上がるように。やがて片桐且元は城内で孤立、大坂城を去った。そして大坂夏の陣から20日ほどたった1615年6月24日、且元は急死した。
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