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盛田幸妃の若い頃(18歳ごろ。横浜大洋の入団時)

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盛田幸妃の若い頃(18歳ごろ。横浜大洋の入団時)

盛田幸妃
プロ野球投手。函館有斗高校からドラフト1位で横浜大洋ホエールズに入団。打者の胸元をえぐるような高速シュートを決め球に、1992年には14勝、防御率2.05(最優秀防御率)を残すなどめざましい活躍をした。球史に残る天才打者・落合博満も盛田には手を焼き通算50打数9安打(打率.180)と抑え込まれた。 中継ぎ・盛田、リリーフ・佐々木主浩の「ダブルストッパー」に、当時のセリーグライバル球団は手を焼いた。 1998年に近鉄バファローズに移籍。移籍初年度に身体の不調を訴え、検査により髄膜腫(良性の脳腫瘍)が見つかり手術を受ける。現役復帰は難しいと思われていたが、驚異的な回復力と粘り強いリハビリテーションで、見事復帰。復帰後にオールスターゲームに中継ぎ投手部門でファン投票1位を獲得したり、カムバック賞を受賞したりするなど、記録もさることながらファンの記憶にも強く残る選手であった。

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