History Guide

三沢光晴の若い頃。タイガーマスクのマスクを脱ぎ捨てた時(28歳ごろ。1990年)

heisei

三沢光晴の若い頃。タイガーマスクのマスクを脱ぎ捨てた時(28歳ごろ。1990年)

三沢光晴
プロレスラー。全日本プロレスでデビュー。タイガーマスク(2代目)として活躍。その後、マスクを脱ぎ本名の「三沢光晴」で、超世代軍のリーダーとして怪物・ジャンボ鶴田と激闘を繰り広げる。ジャンボ鶴田が第一線を退いたあとは、川田利明・小橋健太・田上明らとともに「四天王プロレス」と呼ばれた激しいプロレスでファンを熱狂させた。その後、全日本プロレス社長であったジャイアント馬場死去後に、跡を継ぎ社長に就任するも、馬場の妻である馬場元子と対立し全日本プロレスを退団。プロレスリング・ノアを設立し社長兼レスラーとして新しい戦いをファンに届けた。2009年6月、GHCタッグ選手権試合にて、斎藤彰敏のバックドロップを受け意識不明。リング上で意識不明・心肺停止となり病院に搬送されるも死亡。日本のトップレスラーの試合中の事故死(リング渦)は社会に大きな衝撃を与えた。

このエントリーをはてなブックマークに追加