支倉常長の肖像画(スペインのマドリードで描かれた)
支倉常長
幼名は與市。初名は六右衛門長経。洗礼名はドン・フィリッポ・フランシスコ。
1592年から1598年にかけて豊臣秀吉によって行われた文禄・慶長の役に、主君・伊達政宗に従い出陣、活躍した。1613年、南蛮貿易を目指し遣欧使節の派遣を決めた伊達政宗により、常長は正使として使節団を率いて出航。
一行は太平洋を横断し、メキシコを経て大西洋を渡りスペインに上陸、1615年にはマドリードで国王フェペ3世への謁見を果たした。滞在中、常長は国王臨席のもとに洗礼を受けている。さらに一行は陸路でローマに向かい、同年11月3日にはローマ法王パウロ5世に謁見した。なお常長はローマで貴族に列せられている。しかし、遣欧の目的であった通商交渉は実を結ばず、さらに1620年に帰国してみると幕府により禁教令がすでに出されており、帰国から2年後、常長は失意のうちに没した。
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