さくらももこ
さくらももこ
国民的アニメの原作少女漫画『ちびまる子ちゃん』で知られる漫画家。本名は非公開。アニメ『ちびまる子ちゃん』の第1期エンディングテーマ『おどるポンポコリン』では作詞も手がけた。また、エッセイストとしても絶大な人気を誇り、初期エッセイ三部作(『もものかんづめ』『さるのこしかけ』『たいのおかしら』)はいずれもミリオンセラーを記録している。コミックエッセイ『ひとりずもう』には、『NANA』で知られる少女漫画家・矢沢あいとの思い出なども描かれている。
静岡県に生まれ、静岡県内の中高を卒業、さらに県内にある短大に進学し在学中に教師をテーマにしたオムニバス漫画『教えてやるんだありがたく思え!」でデビュー。
短大卒業後に出版社に入社するがわずか2ヶ月で退職し、その3ヶ月後の1986年(昭和61年)8月から『りぼん』にて『ちびまる子ちゃん』の連載をスタートさせる。同作は1990年(平成2年)にアニメ化されると大ヒット、現在も放送が続く国民的ご長寿アニメとなった。また、『ちびまる子ちゃん』は実写ドラマにもなっており、さくらももこが第1話の脚本を書いている。1994年(平成6年)には、もうひとつの代表作である漫画『コジコジ』の連載が漫画雑誌『きみとぼく』でスタート。メルヘンチックなタッチとかわいらしいキャラクターながら独特なシュールさとナンセンスなギャグが織りなす世界観はさくらももこにしか描けないもので、ハマる大人が続出した。『コジコジ』もアニメ化され人気を博した。『ちびまる子ちゃん』の新聞連載や多くの書籍の執筆と多忙な毎日を送っていた40代半ばで乳がんが発覚、以降、厳しい闘病生活を送りながら漫画家として活動を続けた。2014年(平成26年)にはデビュー30周年を記念し、全国各地で『さくらももこの世界展』が開催され、2015年(平成27年)には『グランドジャンプ』にて『まんが倶楽部』の連載をスタートしている。また、岐阜県にある郡上八幡を愛していたさくらももこは、勝手に「GJ8マン」というご当地キャラを考案、自ら脚本も手がけたWEBアニメは現在も配信されておりこれが遺作となった。
2018年(平成30年)8月15日、乳がんのため死去。同年11月16日には青山葬儀所にて「さくらももこさん ありがとうの会」というお別れの会が営まれた。
私生活においては2度の結婚歴がある。最初の夫は『りぼん』編集者の宮永正隆で、ひとり息子がいたが離婚、のちにイラストレーターのうんのさしみと再婚した。なお、さくらももこの次男がいるのでは?という噂があるが真偽は不明。長男が8歳のときに親子共作による絵本『おばけの手』を発表している(長男のペンネームは「さくらめろん」)。
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