History Guide

鷹見泉石の肖像画(国宝。渡辺崋山 画)

edo

鷹見泉石の肖像画(国宝。渡辺崋山 画)

鷹見泉石
江戸時代後期の武士、蘭学者。下総国古河藩の家老を務めた。名は忠常、通称は又蔵、十郎左衛門、字は伯直、号はほかに楓所(ふうしょ)、泰西堂、可琴軒(かきんけん)。また、西洋名としてヤン・ヘンドリック・ダップルを用いた。古河藩の御使番役・鷹見忠徳の子として古河城下にて生まれ、藩主・土井利厚と利位(としつら)の2代にわたって仕えた。「土井の鷹見か、鷹見の土井か」といわれたほど泉石の手腕は優れ、藩財政の建て直しをはじめ、藩主・利位の大坂城代時代には「大塩平八郎の乱」を平定している。また、対外危機意識の高まる時勢にあって早くから国際事情に関心を持ち、蘭学、地理、歴史、天文学、兵学、博物学など幅広い知識を学び、各界の著名人とも多彩な交流関係を築き藩に多くの重要な情報や資料をもたらした。親交のあった人物には、幕府の要人・江川英龍、蘭学者で泉石の肖像画を描いたことでも知られる渡辺華山、砲術家の高島秋帆、海外渡航者の大黒屋光太夫、画家・司馬江漢らがいる。著作には12歳から60年間にもわたって書き留めた『鷹見泉石日記』やペリー来航を受け開港と洋式軍備への方向転換を説いた『愚意摘要』などがある。また、絵地図コレクターとしても有名で、自ら日本初のオランダ地図「新訳和蘭国全図」も製作している。泉石の著作や地図、絵画、書状などの多くは、故郷である茨城県古河市にある古河歴史博物館に所蔵され、そのうち3153点が2004年に国の重要文化財に指定されている。墓所は茨城県古河市にある正麟寺。

このエントリーをはてなブックマークに追加