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阿久利姫(瑶泉院)の石造(尾関山公園、広島県三次市)

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阿久利姫(瑶泉院)の石造(尾関山公園、広島県三次市)

阿久里
江戸時代前期から中期の女性。「赤穂事件」で知られる播磨国赤穂藩主・浅野内匠頭長矩の妻として名高い。浅野内匠頭の死後、落飾して瑤泉院と称する(「ようぜいいん」と読まれることが多いが、正しい読みは「ようぜんいん」)。父は広島藩の支藩である備後国三次(みよし)藩の初代藩主・浅野長治、母は浅野内匠頭長矩の曽祖父の娘。初名は尚姫のち栗姫、その後、阿久里と改名。3歳の時に赤穂藩主・浅野長矩との婚約が決まり、9歳の頃に正室となったが子宝に恵まれず、長矩の弟・浅野大学(長広)を養子とした。夫・長矩が江戸城で刃傷事件を起こし、即日切腹、御家断絶となると、瑤泉院は赤坂にある実家・三次浅野家に引き取られ、落飾すると長矩の菩提を弔った。また、結婚時の持参金を浅野家再興のための運動資金としてもと家老の大石内蔵助に託し、赤穂浪士たちの生活を陰ながら支え見守った。討ち入り後は浪士の遺児たちの赦免活動に尽力。墓所は夫・浅野内匠頭長矩や赤穂浪士たちと同じ高輪にある泉岳寺。なお、『忠臣蔵』など「赤穂事件」を題材にしたフィクションでは、討ち入り直前の大石内蔵助が赤坂・南部坂にいる瑤泉院のもとへ訪れるという「南部坂雪の別れ」のシーンが有名だが、これはあくまでフィクションである。

Originally uploaded by: メナモミネット

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