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浅野大学の墓(萬松山 泉岳寺、東京都港区)

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浅野大学の墓(萬松山 泉岳寺、東京都港区)

浅野大学
江戸時代前期から中期の旗本。本名は浅野長広(あさのながひろ)だが、一般に「浅野大学」の名で知られる。赤穂事件で改易・切腹となった赤穂藩主・浅野内匠頭長矩の弟で、のち養子となった。幼名は戌千代。赤穂藩主・浅野長友の子として江戸で生まれる。15歳の時に兄・長矩とともに兵学者・山鹿素行に入門し兵学などを学んだ。兄・長矩が江戸城において吉良上野介義央に対し刃傷事件を起こし切腹となると、長広も連座となり所領も没収された。5代将軍・綱吉が没するとそれに伴う大赦で許され、改めて安房国朝夷郡・平郡に500石の所領を賜り旗本に復し、赤穂浅野家は旗本ながら御家再興の悲願を果たした。墓所は兄・長矩や赤穂浪士たちと同じ東京都港区高輪にある泉岳寺。

Originally uploaded by: このたびのたび

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