History Guide

岩佐又兵衛の自画像

edo

岩佐又兵衛の自画像

岩佐又兵衛
江戸時代初期の絵師。「浮世絵の元祖」ともいわれる。一般に知られる「又兵衛」は通称で、諱は勝以(かつもち)。摂津国河辺郡伊丹(現・兵庫県伊丹市)の有岡城主・荒木村重の子として生まれたが、村重が主君・織田信長に反逆し城は落ちた。その際、一族のほとんどが斬殺されたが、幼い又兵衛は乳母に救出され京の石山本願寺にかくまわれた。長じて又兵衛は母方の姓である「岩佐」を名乗り、絵を生活の方便としていると、誘われて越前国北ノ庄(現・福井県福井市)に移り住み同地で20年余りを過ごした。60歳の時、3代将軍・家光の娘の婚礼調度製作を命じられ江戸に移り住み、江戸で生涯を終えた。又兵衛の作品は、大胆で独創的な構図、精緻な描写、鮮やかな色彩、ダイナミックでエネルギッシュな表現が特徴。特に人物表現は独特で、「豊頬長頤(ほうきょうちょうい)」と形容される豊かな頬と長い頤は、浮世絵の源流ともいわれる。代表作に、川越市喜多院の「三十六歌仙」、肉筆画「職人尽」、「山中常盤物語絵巻」「浄瑠璃物語絵巻」など古典を題材にした絵巻が有名。墓所は福井県福井市にある興宗寺。

このエントリーをはてなブックマークに追加