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高山右近の像

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高山右近の像

高山右近
通称は彦五郎。号は南坊等伯。官位は従五位下・大蔵少輔。キリシタン大名として知られ、ドン=ジュストという洗礼名を持つ。 茶道にも通じ、千利休の七高弟(利休七哲)のひとりとしても有名。初め松永久秀に仕えたが、十五代将軍・足利義昭の直臣である和田惟政が高槻城に入るとこれに仕える。 その後右近は摂津を支配した荒木村重に従い、惟政没後に高槻城主となった和田惟長を逐うと新たに高槻城主となった。 1578年、荒木村重が主君・織田信長に反旗を翻すと、苦悩の末、右近は信長に降伏、開城した。信長没後は羽柴秀吉(豊臣秀吉)に従い厚い信頼を受けたが、バテレン追放令が発せられると高山右近は信仰を守るため領地と財産のすべてを捨てる。1588年、加賀藩前田家に客将として迎えられ身を寄せた。 1614年、徳川幕府による禁教令を受け右近はルソン島へと追放され、翌年、病によりその生涯に幕を下ろした。

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