佐々成政の肖像画
佐々成政
生年は1516年説、1539年説もあり。
別名は内蔵助。主な官位は陸奥守、従五位上、従四位下侍従。早くから織田信長に仕え、永禄年間の初め頃には信長親衛隊「黒母衣衆」の筆頭に抜擢される。数多くの戦いに従軍し武功を挙げた。
織田信長没後、信長の遺児・信雄が徳川家康と連合し豊臣秀吉と対立し、1584年に小牧・長久手の戦いが勃発、成政は織田信雄の要請に応じこれに味方した。信雄が秀吉と和議を結んだことにより家康は撤退すると、佐々成政は浜松にいる家康へ再挙を促すため厳冬の立山を秘密裏に踏破した。世にいう「さらさら越え(ザラ峠越え)」である。だが、説得は失敗に終わり、佐々成政は豊臣秀吉に降伏。その後、肥後一国を与えられたが、領内で起きた国人一揆の責任を問われ所領没収のうえ自害した。
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